いつも何気なく食べているチョコレート。
実はその起源は、なんと5000年以上も前にさかのぼるんです!
古代文明では「神の食べ物」として崇められ、王族だけが味わえる特別な飲み物でした。
それが大航海時代を経てヨーロッパへ渡り、数々の技術革新を経て、今の固形チョコレートへと進化したんですね♪
この記事では、歴史のロマンあふれるチョコレートの物語を、古代から現代まで時系列で詳しくご紹介します。
歴史を知れば、いつものチョコレートがもっと特別なものに感じられるはず...!
いつも何気なく食べているチョコレート。
実はその起源は、なんと5000年以上も前にさかのぼるんです!
古代文明では「神の食べ物」として崇められ、王族だけが味わえる特別な飲み物でした。
それが大航海時代を経てヨーロッパへ渡り、数々の技術革新を経て、今の固形チョコレートへと進化したんですね♪
この記事では、歴史のロマンあふれるチョコレートの物語を、古代から現代まで時系列で詳しくご紹介します。
歴史を知れば、いつものチョコレートがもっと特別なものに感じられるはず...!


チョコレートの原料であるカカオの歴史は、想像以上に古いもの。
最新の研究により、その起源は紀元前3300年頃まで遡ることが明らかになりました。
カカオが初めて使われた場所
現在のエクアドルで、紀元前3300年頃には既に人々がカカオを食用として摂取していた痕跡が見つかっています。
その後、紀元前2000年頃になると、メソアメリカ(現在のメキシコ周辺)でカカオの栽培が本格的に始まりました。
「チョコレート」という言葉の由来って?
「チョコレート」という言葉は、アステカ文明の言語ナワトル語に由来しています。
この2つが組み合わさって「ショコラトル」となり、スペイン語の「チョコラテ」を経て、英語の「chocolate」へと変化していきました。
なぜ「神の食べ物」と呼ばれたの?
マヤ文明やアステカ文明において、カカオは神聖な植物として扱われていました。
カカオの学名「テオブロマ」は、ギリシャ語で「神の食べ物」を意味します。
カカオは宗教儀式で神々への捧げ物として使われ、死者の旅路を導く力があると信じられていたんです。

現代のチョコレートとは全く異なる形で、古代の人々はカカオを楽しんでいました。
当時のレシピ
古代のチョコレート飲料「ショコラトル」の作り方はこんな感じでした...
砂糖はまだ存在していなかったため、カカオ本来の苦味と酸味が際立つ飲み物でした。
バニラやハチミツを加えることもあり、様々なバリエーションがあったようです。
カカオ豆は通貨だった!?
驚くべきことに、カカオ豆は食料としてだけでなく、お金としても使われていました。
14世紀のアステカ王国では、カカオ豆が正式な通貨として流通していたんです。
その価値は非常に高く、カカオ100粒で奴隷一人を買えたという記録も...! カカオの栽培地をめぐって、文明間で争いが起きることもあったほどです。
誰が飲めたの?
貨幣として使われるほど貴重だったカカオは、誰もが自由に飲めるものではありませんでした。
アステカ帝国の皇帝モンテスマは、純金の杯で一日に50杯ものショコラトルを飲んでいたと伝えられています。
☑ 王族や貴族
☑ 戦士などの特権階級
このような限られた人々だけが、この貴重な飲み物を味わえたんですね。

15世紀後半、大航海時代の幕開けとともに、カカオはついに新大陸からヨーロッパへと渡ります。
コロンブスとコルテスの役割
1502年、探検家クリストファー・コロンブスは、ホンジュラス沖でマヤ族の貿易船と遭遇しました。
船には「アーモンド」のような褐色の豆が大切に積まれており、これがカカオ豆でした。
しかし、コロンブス自身は航海に夢中で、あまり興味を示さなかったそうです。
カカオをヨーロッパに広めたのは、1521年にアステカ帝国を征服したスペイン人エルナン・コルテス。
彼はカカオを「金のなる木」として注目し、1528年にカカオ豆をスペイン国王に献上しました。
スペインの秘密主義
スペインに伝わったショコラトルは、スパイシーで苦く、スペイン人の口には合いませんでした。
そこでハチミツや砂糖を加えて甘くしたところ、貴族社会に衝撃と感動をもたらしたんです♪
スペインは約100年間、カカオの存在を門外不出の秘密とし、他国に知られないよう徹底的に管理していました。
王女たちが主役!
スペインの独占は、王室の婚姻によって崩れることになります。
1615年 スペイン王女アンヌ・ドートリッシュがフランス国王ルイ13世のもとへ嫁ぐ際、チョコレートとその調理道具一式、そして専門の料理人を連れて行きました。
1661年 ルイ14世もチョコレート愛好家のスペイン王女マリア・テレサと結婚。
彼女は「チョコレート専門料理人」を同行させ、フランスでチョコレート文化を定着させました。
こうして王女たちを通じて、チョコレートは17世紀のヨーロッパ全土へと広がっていったんです。

ヨーロッパに伝わったチョコレートは、単なる飲み物ではなく、貴族社会の象徴となっていきました。
フランス宮廷の優雅な朝
フランス宮廷では、チョコレートは朝食の飲み物として定着します。
貴婦人たちは寝室でチョコレートを飲みながら、一日の始まりを優雅に迎えました。
チョコレートを楽しむための特別な器や道具が作られ、それ自体が芸術作品として扱われたほど。
1693年には関税が引き下げられ、価格が下がったことで、徐々に市民層にも広がっていきました。
ロンドンのチョコレートハウス
1657年、ロンドンに最初の「チョコレートハウス」が開店しました。
裕福な商人や政治家たちが集まる社交場で、温かいチョコレート飲料を楽しみながら、政治や経済について議論を交わしたんです。
チョコレートと女性の深い結びつき
興味深いことに、チョコレートは特に女性たちに愛される飲み物でした。
フランスでは、チョコレートは女性の美容と健康に良いと考えられていたんです。
貴婦人たちは朝のチョコレートを欠かさず、それが優雅さと教養の証とされました。
この「チョコレートと女性」という結びつきが、現代のバレンタイン文化へとつながる文化的な土台となったんですね♪

18世紀から19世紀にかけて、産業革命を背景に、チョコレートは劇的な進化を遂げます。
従来のチョコレート飲料には大きな問題がありました...
1828年、オランダ人のクンラート・ヴァン・ホーテンが画期的な発明をします! 彼は圧搾機を開発し、カカオ豆からココアバターを絞り出す技術を確立。
油分を約28%まで減らしたカカオをパウダー状にすることで、水分と混ざりやすい「ココア」が誕生しました。
さらに、カカオ豆をアルカリ処理する「ダッチプロセス」も開発。
酸味が中和され、まろやかで飲みやすいココアが実現したんです。
1847年、イギリスの菓子職人ジョセフ・フライは、ある発見をします。
ココアパウダーと砂糖に、絞り出したココアバターを加えて混ぜると、冷やした時に固まることに気づいたんです!
こうして世界初の「食べるチョコレート」である固形チョコレートが誕生。
型に流し込めば様々な形を作れるため、板チョコレートも生まれました。
ただし、この時点のチョコレートはまだ苦味が強いものでした。
固形チョコレートの誕生から約30年後、チョコレートはさらに進化します。
スイスのダニエル・ペーターは、チョコレートの苦味をまろやかにする方法を模索していました。
しかし、チョコレートに牛乳を加えると、水分と油分が分離してボソボソになってしまいます。
そこで彼は、隣人アンリ・ネスレが開発した「粉ミルク」に注目! 1875年、粉ミルクをチョコレートに混ぜ込むことで、世界初の「ミルクチョコレート」を完成させました。
クリーミーでまろやかな味わいは、現代のチョコレートの原型となります♪
1879年、スイスのロドルフ・リンツが「コンチング」という技術を発明します。
コンチングとは、チョコレート生地を長時間撹拌し続ける工程です。
リンツは偶然(連休前にスイッチを切り忘れたという説も...!)、72時間連続で機械を動かし続けました。
すると驚くべきことに、チョコレートがなめらかでとろけるような舌触りになっていたんです。
長時間の撹拌により、粒子が細かくなり、ココアバターが均一に行き渡ったためでした。
この技術により、現代のチョコレート特有の「口どけの良さ」が実現しました。

日本にチョコレートが伝わったのは、鎖国時代の江戸時代のことでした。
江戸時代の謎の贈り物
日本で最も古いチョコレートの記録は、1797年(寛政9年)にさかのぼります。
長崎の遊女町の記録に、遊女の大和路が出島のオランダ人から「しょくらあと 六つ」という贈り物を受け取った記載が残されていました。
当時のチョコレートは、非常に珍しい異国の不思議な食べ物。
長崎以外ではほとんど知られていませんでした。
明治時代から大正時代へ
日本が本格的にチョコレートと出会ったのは、明治時代になってから。
生産量の増加とともに価格が下がり、チョコレートは徐々に庶民の手に届くようになっていきました。
戦時中の苦難
1937年に日中戦争が始まると、状況は一変します。
1940年、カカオ豆に輸入制限がかかり、軍需用以外のチョコレート製造は中止されました。
そこで開発されたのが「代用チョコレート」...!
☑ カカオ豆の代わりに→チューリップやユリの球根、オクラ豆
☑ 砂糖の代わりに→ブドウ糖
☑ ココアバターの代わりに→植物油
この苦難の時代を経て、チョコレートの価値は日本人の心にさらに深く刻まれることになります。
「ギブ・ミー・チョコレート」の時代
1945年、戦争が終わるとアメリカ軍が日本に進駐。
当時の子供たちが、アメリカ兵に「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫ぶ光景は、戦後日本を象徴する場面として記憶されています。
1950年にようやくカカオ豆の輸入が再開され、1960年には輸入が自由化。
日本のチョコレート産業は急速に発展していきました。

日本独自のチョコレート文化として、バレンタインデーは特別な意味を持っています。
バレンタインデーの起源
バレンタインデー自体は、3世紀のローマ時代の聖人バレンティヌスに由来する西洋の祝日です。
欧米では19世紀後半から、恋人へチョコレートを贈る習慣が始まりました。
当時、チョコレートは高級品であり、愛情を示す特別な贈り物とされていたんです。
日本スタイルの誕生
日本では、1960年頃からバレンタインデーのキャンペーンが展開され始めます。
「女性から男性へチョコレートを贈る」という日本独自のスタイルは、この時期に定着しました。
やがて生まれた日本特有の文化...
バレンタインデーは、日本のチョコレート消費を大きく押し上げる重要なイベントとなりました♪
ホワイトデーという発明
さらに日本独自の文化として、「ホワイトデー」が生まれます。
1980年頃、バレンタインデーのお返しをする日として、3月14日のホワイトデーが設定されました。
この習慣は日本で始まり、後に韓国や台湾など東アジアの一部の国々にも広がっていきます。
チョコレートだけでなく、クッキーやキャンディーなど様々なお菓子が贈られるようになり、新たな市場を生み出しました。

現代では様々な種類のチョコレートが楽しめますが、それぞれに興味深い誕生の物語があります。
ガナッシュ「役立たず」の奇跡
ガナッシュは、チョコレートに生クリームを混ぜたなめらかなクリーム。
伝説によれば、1850年のパリである見習い菓子職人が、溶けたチョコレートが入ったボウルにミルクを誤ってこぼしてしまいました。
上司のシェフは「ガナッシュ(役立たず)!」と怒鳴ります。
しかし、なんとかしようと混ぜ合わせて味見をしたところ、思いがけない美味しさだったんです! こうして「ガナッシュ」という名前が生まれ、今ではトリュフチョコレートなどに欠かせない素材となっています。
プラリネ公爵の贈り物
元々のプラリネは、17世紀のフランスで生まれました。
ルイ14世に仕えたプレシ=プラスリン公爵のお抱えシェフが、焼いたアーモンドの砂糖がけを作ったところ、公爵はその美味しさに感激! 自分の名前をつけてこのお菓子を「プラリネ」と名付けたそうです♪
トリュフチョコレート
1912年、ベルギーでジャン・ノイハウスが、型で作ったチョコレートの殻の中にクリームやガナッシュを詰めた「プラリネ」を考案します。
その形が高級食材のトリュフ(キノコ)に似ていることから、「トリュフチョコレート」と呼ばれるようになりました。

チョコレートと健康の関係は、古代から現代まで常に注目されてきました。
古代の「万能薬」
アステカ文明では、ショコラトルは単なる飲み物ではありませんでした。
期待されていた効果...
皇帝モンテスマが一日50杯も飲んでいたのは、健康と活力を維持するためだったとされています。
戦士たちは戦いの前にショコラトルを飲み、体力と精神力を高めました。
ヨーロッパの医学界でも注目
ヨーロッパにチョコレートが伝わった当初も、薬としての側面が強調されていました。
スペインやフランスの医師たちは、チョコレートの滋養強壮効果や消化促進効果を医学的に論じたんです。
17世紀のフランスでは、チョコレートは薬局でも販売されていたほど! 貴婦人たちは美容と健康のために、毎朝チョコレートを飲む習慣を持っていました。
現代科学が証明したこと
長年信じられてきたチョコレートの健康効果は、現代科学によって裏付けられつつあります。
カカオに含まれる「カカオポリフェノール」には、抗酸化作用があることが明らかになりました。
適量のカカオ摂取は、血圧の改善や動脈硬化の予防に役立つ可能性が示されています。
また、カカオには食物繊維の一種である「カカオプロテイン」も含まれており、腸内環境を整える効果も期待されています。
1990年代以降、ハイカカオチョコレートや低糖質チョコレートなど、健康志向の商品も多く登場。
古代から現代まで、チョコレートと健康の関係は、形を変えながら続いているんですね。

| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 紀元前3300年頃 | エクアドルでカカオが食用として利用される |
| 紀元前2000年頃 | メソアメリカでカカオ栽培が始まる |
| 紀元前後 | マヤ・アステカ文明でショコラトルが飲まれる |
| 1502年 | コロンブスがカカオ豆と出会う |
| 1528年 | コルテスがスペイン国王にカカオ豆を献上 |
| 1615年 | フランスにチョコレートが伝わる |
| 1657年 | ロンドンに最初のチョコレートハウス開店 |
| 1797年 | 日本の長崎に「しょくらあと」の記録 |
| 1828年 | バンホーテンがココアを発明 |
| 1847年 | 世界初の固形チョコレート誕生 |
| 1875年 | ミルクチョコレートが完成 |
| 1879年 | コンチング技術の発明 |
| 1918年 | 日本でチョコレートの工業生産開始 |
| 1950年 | 戦後、日本でカカオ豆輸入再開 |
| 1960年頃 | 日本でバレンタインデー文化が広まる |
| 1980年頃 | ホワイトデーが始まる |
| 1990年代〜 | ハイカカオチョコレートなど健康志向商品登場 |

チョコレートの歴史は、人類の文化史そのもの。
古代メソアメリカで「神の食べ物」として崇められたカカオは、大航海時代を経てヨーロッパへ渡り、王侯貴族の社交を彩りました。
産業革命がもたらした技術革新により、苦い飲み物は甘く滑らかな固形チョコレートへと進化します。
日本では江戸時代に伝来し、戦争という困難を乗り越えて、国民的なお菓子として定着。
バレンタインデーやホワイトデーといった独自の文化も生まれ、チョコレートは特別な意味を持つ贈り物となっています。
5000年の歴史を経て、現代の私たちの手元に届いているチョコレート。
その一粒一粒には、数え切れないほどの人々の情熱と努力、そして文化が詰まっているんです。
次にチョコレートを口にする時は、遥か古代から続く壮大な物語に思いを馳せてみてください。
いつものチョコレートが、きっと特別な味わいになるはずです...♪





































