メアリー・ベル事件とは
メアリー・ベル事件は、1968年5月から7月にかけてイギリス北部ニューカッスルで発生しました。
当時10歳だった少女が、3歳と4歳の男児2名を殺害した事件です。
犯行時の年齢の若さと残虐性から「史上最年少の連続殺人犯」として知られています。
事件の舞台となったのは、スコッツウッドという貧困地区でした。
なぜ今も語り継がれるのか?
この事件が半世紀以上経った今も語り継がれる理由は主に3つあります。
☑ 犯人の年齢 - 10歳という幼さで計画的な殺人を犯した事実
☑ 犯行後の異常行動 - 被害者宅を訪問し遺体を見せるよう要求
☑ 背景にある児童虐待 - 加害者自身が深刻な虐待を受けていた
事件の経緯を時系列で解説
犯行予兆(1968年5月11日)
最初の殺人の約2週間前、既に予兆はありました。
メアリーと友人のノーマ・ベルは、3歳の男児と遊んでいた際、男児が転倒して頭部に重傷を負っています。
さらに翌日、別の母親が警察に通報しました。
「メアリーが娘たちの首を絞めようとした」という内容です。
警察は事情聴取を行いましたが、子ども同士の悪ふざけと判断...。
この時点で適切な対応が取られていれば、後の悲劇は防げたかもしれません。
第一の殺人 マーティン・ブラウン事件(1968年5月25日)
メアリーが11歳の誕生日を迎える前日のことでした。
スコッツウッドの廃屋で、4歳のマーティン・ブラウンが遺体で発見されます。
首を絞められて窒息死していましたが、子どもの力では絞殺痕が残りませんでした。
現場には空になった薬瓶が転がっており、警察は誤飲による事故死と結論付けます。
驚くべきことに、メアリーは事件当日に被害者の叔母宅を訪れています。
「棺の中の死体を見せて」とニヤニヤ笑いながら要求したのです。
保育所への侵入と挑発的なメモ
事件翌日、メアリーとノーマは保育所に侵入しました。
そこに残されていたのは、犯行を示唆する複数のメモ...。
「わたしが ころした。
だから また やってくる」
綴りや文法は間違いだらけでしたが、明らかに殺人を告白する内容です。
しかし警察は、メアリーに虚言癖があることから、子どもの悪質なイタズラと判断しました。
彼女は学校でも殺害現場の絵を描き、友人に見せていました。
被害者遺族を訪ねては、嘲笑するような態度を取り続けます。
第二の殺人 ブライアン・ハウ事件(1968年7月31日)
事故死として処理されたことに不満を持ったメアリーは、再び行動に出ます。
7月31日の午後、3歳のブライアン・ハウが行方不明になりました。
捜索隊が夜遅く発見した遺体は草で覆い隠されていましたが、今度は明らかな他殺でした。
遺体の状況
- 首には絞殺痕
- 胴体や足に刃物で切り刻まれた跡
- 腹部に刻まれた「M」の文字
- 髪と性器の一部も切り取られていた
警察はようやく事件性を認識します。
目撃情報から、メアリーとノーマの2人が浮上しました。
逮捕から裁判へ
取り調べを受けたノーマは、すべての詳細を自白します。
メアリーも逮捕されましたが、最後まで罪を認めませんでした。
「ノーマがやった」と主張し続けましたが、物証が彼女の犯行を裏付けました。
1968年12月、11歳のメアリーに有罪判決が下されます。
メアリー・ベルの生い立ち
望まれない子として
メアリー・フローラ・ベルは1957年5月26日、ニューカッスルの貧困地区で生まれました。
母親のエリザベス(通称ベティ)は、当時わずか17歳。
地元で知られた娼婦だったベティは、仕事で身籠った子どもを産み落とします。
実の父親が誰なのかは、今も不明なままです...。
出産時、ベティはこう叫んだと言われています。
「それをどこかへ連れて行って!」
メアリーは生まれた瞬間から、母親に拒絶されていました。
壮絶な幼少期
ベティは娘の世話をほとんどしませんでした。
グラスゴーへ出稼ぎに出かけることが多く、家を何日も空けます。
メアリーは親戚や近所の人に預けられる日々が続きました。
やがてベティは、ビリー・ベルという男性と同棲を始めますが、生活保護の受給額を減らされないよう、メアリーには「おじさん」と呼ばせます。
ビリーはアルコール依存症で暴力的な性格でした。
幼少期の危険なサイン
- 何度も原因不明の薬物中毒で生死の境をさまよう
- 感情の起伏が激しく、慢性的な夜尿症
- 他の子どもの首を絞めようとする
- 夜が怖い、眠れないという訴え
これらは性的虐待を受けた子どもに典型的な症状ですが、誰も気づきませんでした。
4歳から続いた性的虐待
最も深刻だったのは、性的虐待でした。
メアリーが40歳の時に明かした証言によれば、4歳から8歳まで続いたといいます。
娼婦だった母親は、客にメアリーを差し出していました。
抵抗すれば首を絞められ、口を無理やり開けさせられました...。
幼い身体で受けた傷は、心に深い闇を刻み込みます。
9歳になったメアリーは、行きずりの男性に身体を触らせて小銭を稼ぎました。
弟と遊ぶためにも、お金を払う必要があったのです。
孤立と唯一の「友達」
多くの子どもがメアリーとの付き合いを避けるようになりました。
孤立した彼女が唯一の「友達」としたのが、隣家に住むノーマ・ベルでした。
共犯者ノーマ・ベルとの関係
ノーマ・ジョイス・ベル(1955年生まれ)は、メアリーより2歳年上でした。
同じ「ベル」という姓ですが、2人に血縁関係はありません。
偶然にも同じ苗字だったというだけです。
なぜノーマはメアリーに従ったのか?
ノーマは知的に遅れがあり、判断能力が弱い少女でした。
口が達者で頭の良いメアリーは、ノーマを巧みに操りました。
「一緒にいれば特別なことができる」という言葉で引き込んだのです。
メアリーはノーマを犯行現場に同行させましたが、実際の殺害は単独で行いました。
ノーマは見ているだけ、あるいは手伝わされるだけの立場でした。
裁判の結末
逮捕後、ノーマはすべてを正直に話しました。
しかし裁判所は、ノーマに刑事責任能力がないと判断します。
知的障害と、メアリーに操られていたという事情が考慮されました。
ノーマは全ての容疑で無罪となり、釈放されます。
その後の人生について、詳細な情報はほとんど残されていません。
1989年、ノーマは34歳で亡くなったとされています。
サイコパスとしての特徴
サイコパスって何?
サイコパスとは、反社会的人格を持つ精神病質者のことです。
カナダの犯罪心理学者ロバート・D・ヘアが定義を確立しました。
主な特徴
- 良心の欠如
- 共感能力の低さ
- 自己中心的な思考
ただし精神疾患とは異なります。
医学的な「病気」ではなく、人格特性の一種と考えられています。
メアリー・ベルに見られた7つの特徴
メアリーは、典型的なサイコパスの特徴を多く備えていました。
- 良心の欠如 - 殺人を犯しても罪悪感を示さず、むしろ誇示
- 虚言癖 - 息をするように嘘をつき、大人を騙すことに長けていた
- 感情の冷淡さ - 被害者遺族の前で笑顔を見せ、嘲笑
- 共感の欠如 - 「人はどうせ死ぬから、殺しても大したことない」
- 承認欲求の異常な高さ - 警察に挑発的なメモを残した
- 弱者への加虐性 - 自分より弱い幼児をターゲットに
- 表面的な魅力 - 賢く、歌が上手で、外見は可愛らしい少女
生まれつき? それとも環境のせい?
メアリーは生まれつきのサイコパスだったのでしょうか? 多くの専門家は、後天的な要因を重視しています。
深刻な虐待と育児放棄が、彼女の人格形成に決定的な影響を与えたと考えられます。
「ソシオパス」という用語を使う専門家もいます。
これは環境要因で形成された反社会的人格を指す言葉です。
遺伝的要因と環境要因の相互作用が、メアリーという人間を作り上げたと言えるでしょう。
裁判と判決
1968年12月、ニューカッスル巡回裁判所で裁判が始まりました。
被告人席に座るのは、まだ11歳の少女です。
イギリス史上、最も若い殺人犯の裁判として注目を集めました。
法廷でのメアリー
メアリーは法廷でも冷静でした。
時折、大人を困惑させるような鋭い質問を投げかけます。
「なぜ私が悪いの? みんな死ぬのに」
弁護側は、彼女の生育環境と精神状態を訴えました。
しかし検察側は、計画性と残虐性を強調します。
下された判決
判決は故殺罪による有罪でした。
故殺罪とは、殺意はあったものの責任能力が低下していたと認められる罪です。
完全な責任能力があれば殺人罪となるところでした。
メアリーには終身刑が言い渡されます。
ただし11歳という年齢を考慮し、少年施設への収容となりました。
一方、ノーマは全ての容疑で無罪とされています。
当時の問題点
イギリスには当時、重大犯罪を犯した少年を収容する適切な施設がほとんどありませんでした。
心理的ケアや教育プログラムも不十分でした。
メアリーのケースは、少年司法改革の必要性を社会に突きつけることになります。
収監生活12年間の記録
生まれて初めての愛情
メアリーは最初、レッド・バンクという少年施設に送られました。
そこでは従来の刑務所とは異なるアプローチが取られます。
懲罰よりも教育と心理的ケアに重点が置かれました。
施設の職員たちは、メアリーに愛情を持って接しました。
生まれて初めて、彼女は大人からの無条件の愛情を経験します♪
学習能力の高いメアリーは、教育プログラムで優秀な成績を収めました。
読書を好み、特に心理学の本を多く読んだと言われています。
16歳になると、より一般的な刑務所へ移送されました。
1977年の脱獄事件
1977年、20歳になったメアリーに転機が訪れます。
囚人仲間のアーネット・プリーストと共に脱獄を図りました。
2人は3日間、外の世界で過ごします。
この期間、メアリーは初めて男性と関係を持ちました。
「自分が正常な人間になれたか試したかった」と後に語っています。
結局、2人はすぐに捕まりました...。
メアリーは再び刑務所に戻されます。
しかし自殺未遂を起こすなど、精神的に不安定な時期が続きました。
精神的成長の過程
収監生活を通じて、メアリーは少しずつ変化していきました。
18歳の時、集団セラピーに参加します。
そこで初めて、自分の犯した罪と向き合い始めました。
「私は何をしてしまったのか」
20歳を過ぎた頃から、被害者への罪悪感が芽生え始めます。
専門家たちは、メアリーが社会復帰可能なレベルまで成長したと判断しました。
釈放後の人生と現在
23歳での社会復帰
1980年5月、メアリーは23歳で釈放されました。
約12年間の収監生活を終え、社会に戻ります。
しかし通常の生活を送ることは不可能でした。
裁判所命令により、彼女には生涯にわたる匿名性が認められます。
新しい名前を与えられ、別の場所で人生をやり直すことになりました。
内務省の報道官はこう述べています。
「彼女は普通の生活を送る機会を望んでいる」
母親になって変わったこと
1984年5月25日、メアリーは娘を出産しました。
奇しくも、最初の被害者マーティン・ブラウンが殺された日と同じ日付でした...。
母親になったことで、メアリーの内面に大きな変化が起こります。
ジャーナリストのジッタ・セレニーの取材に応じた際、彼女はこう語りました。
「娘を持って初めて、被害者の母親たちの苦しみが分かった」
自分が奪った命の重さを、ようやく実感したのです。
厳重に守られる匿名性
2003年、高等裁判所はメアリーの匿名性をさらに拡大しました。
☑ 彼女自身の身元保護
☑ 娘の身元保護
☑ 孫の身元保護
これはイギリス法制史上、極めて異例の措置でした。
理由は明確です。
身元が判明すれば、娘や孫が社会的制裁を受ける可能性があるためです。
現在も、メアリーの本名や居住地は厳重に秘匿されています。
この保護命令に違反すれば、法的処罰の対象となります。
メアリーの現在
2025年現在、メアリーは68歳前後と推定されます。
彼女がどこで何をしているのか、公式な情報は一切ありません。
一部の報道では、イギリス国内で静かに暮らしているとされています。
パートナーと共に、平穏な日常を送っていると言われています。
家族について
メアリーには娘がおり、その娘も子どもを産んでいます。
つまり彼女は祖母になったということです。
孫は、祖母の過去を知らずに育っている可能性が高いでしょう。
娘は2003年、自分の母親の正体を知ってしまいました。
メアリーの告白本『魂の叫び』の出版後、マスコミに追われたためです。
母娘関係がその後どうなったのか、詳細は明かされていません。
精神的な問題
メアリーは現在も、精神的な問題を抱えていると言われています。
幼少期の虐待によるトラウマは、簡単には消えません。
解離性障害など、複数の症状に悩まされているとの情報もあります。
しかし専門家の継続的なサポートを受けながら、日常生活を送っているようです。
彼女自身は、有罪判決を「不当」とは主張していません。
虐待を免罪符にするつもりはない、と明言しています。
物議を醸した告白本『魂の叫び』
1998年、ジャーナリストのジッタ・セレニーが一冊の本を出版しました。
『魂の叫び 11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白』です。
事件から30年が経過し、メアリーが初めて詳細な証言をした記録でした。
セレニーは数年間にわたってメアリーを取材します。
幼少期の性的虐待、母親との関係、犯行時の心理状態などが赤裸々に語られました。
なぜ批判されたのか?
しかし出版は、激しい批判を招きました。
最大の問題は、メアリーが取材協力の報酬として約15,000ポンド(当時のレートで約324万円)を受け取ったことです。
「犯罪者が自分の犯罪から利益を得るべきではない!」
イギリス政府は出版を阻止しようとしましたが、法的に阻止できませんでした。
マスコミはメアリーを激しく非難します。
最も深く傷ついたのは、被害者の遺族でした。
マーティン・ブラウンの母親とブライアン・ハウの母親は、この本の出版を知らされていませんでした。
事前に連絡も、配慮もありませんでした...。
遺族たちは「過去の傷をえぐられた」と訴えます。
自分たちには何の補償もないのに、加害者だけが金銭を得たと怒りを表明しました。
本が明かした重要な事実
一方で、この本は重要な事実を明らかにしました。
- メアリーが4歳から8歳まで、母親と客から組織的な性的虐待を受けていたこと
- 薬物を故意に飲まされ、何度も死にかけたこと
これらの事実は、事件当時ほとんど知られていませんでした。
セレニーが本書で訴えたかったこと
児童虐待の早期発見と介入の重要性でした。
メアリーを単なる「悪魔」として片付けるのではなく、背景にある社会問題に目を向けるべきだという主張です。
類似事件との比較
ジェイムズ・バルガー事件との共通点
1993年、イギリスで再び衝撃的な事件が起こります。
ジェイムズ・バルガー事件です。
10歳の少年2人が、2歳の幼児を誘拐して殺害しました。
メアリー・ベル事件との共通点
- 加害者が10歳という若さ
- 被害者が幼児
- 一方が主導的で、もう一方が従属的な関係
しかし決定的な違いもあります。
バルガー事件の加害者たちは、メアリーほど複雑な生育歴を持っていませんでした。
神戸連続児童殺傷事件との違い
日本でも1997年、神戸で14歳の少年による連続殺傷事件が発生しました。
通称「酒鬼薔薇事件」です。
少年Aと呼ばれる加害者は、11歳の男児を殺害しています。
メアリー・ベルとの類似点
- 猟奇性と劇場型犯罪の要素
- 犯行を誇示し、社会に挑発
しかし大きな違いがあります
メアリーは釈放後、真摯に罪と向き合いました。
被害者への謝罪の念を示し、匿名で静かに暮らしています。
一方、少年Aは出所後も問題行動を続けました。
手記を出版して遺族を傷つけ、社会的批判を浴びています。
更生の可能性について
これらの事件は、重要な問いを投げかけます。
「重大犯罪を犯した子どもは、更生できるのか?」
メアリー・ベルのケースは、可能性を示しています。
適切な教育と心理的ケアがあれば、人は変われるということです。
更生に必要な3つの条件
- 本人が罪と向き合う意思を持つこと
- 社会が更生の機会を与えること
- 専門家による長期的なサポートがあること
メアリーの場合、12年間の収監生活で愛情と教育を受けました。
これが彼女の人格を変える契機となったのです。
事件が社会に残した教訓
児童虐待の早期発見が何より大切
メアリー・ベル事件が明らかにしたのは、児童虐待の深刻さです。
事件前、メアリーは明確なSOSのサインを出していました。
見逃されたサイン
- 夜尿症
- 感情の不安定さ
- 他の子どもへの暴力
- 夜が怖い、眠れないという訴え
しかし誰も適切な対応を取りませんでした...。
現在、多くの国で児童虐待の早期発見システムが整備されています。
教師、医師、ソーシャルワーカーが連携して子どもを見守る体制です。
メアリーのような悲劇を繰り返さないために、社会全体で子どもを守る必要があります。
少年司法のあり方
この事件は、少年司法のあり方も問い直しました。
11歳の子どもを成人と同じ法廷で裁くべきなのか?
懲罰と更生、どちらを重視すべきなのか?
イギリスでは事件後、少年犯罪への対応が見直されました。
心理的ケアと教育を重視する方向へシフトしています。
日本でも同様の議論が続いています。
被害者と加害者 両方の視点を持つ
最も難しいのは、被害者と加害者のバランスです。
被害者遺族の苦しみは、決して軽視してはいけません。
彼らの怒りと悲しみは、当然の感情です。
一方で、加害者が子どもの場合、その背景にも目を向ける必要があります。
虐待を受けた子どもが加害者になるという連鎖を、どこかで断ち切らなければなりません。
簡単な答えはありません。
しかし両方の視点を持つことが、社会の成熟には不可欠です。
関連書籍と作品紹介
📚 『マリー・ベル事件 11歳の殺人犯』
ジッタ・セレニーが事件直後に書いた最初の著作です。
1973年に出版されたこの本は、裁判記録を基に事件を詳細に記録しています。
メアリーの生育環境や家族背景も取り上げられていますが、本人への取材は含まれていません。
日本では評論社から翻訳版が出版されました。
現在は入手困難ですが、古書店やオンラインで見つけることができます。
📚 『魂の叫び 11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白』
1998年に出版された、メアリー本人の証言を含む決定版です♪
事件から30年後、40歳になったメアリーが初めて詳細を語りました。
幼少期の性的虐待、犯行時の心理、収監生活、母親になってからの心境の変化...。
600ページを超える大作ですが、読む価値のある一冊です。
清流出版から日本語訳が出版されています。
物議を醸した本ですが、児童虐待という社会問題を考える上で重要な資料となっています。
📚 山岸凉子『悪夢』
日本の漫画家・山岸凉子が、メアリー・ベル事件をモチーフに描いた作品です。
1975年から1976年にかけて『週刊マーガレット』で連載されました。
事件の詳細がまだ明らかになっていない時期に描かれたため、フィクション要素が強くなっています。
しかし11歳の少女の心理を鋭く描写した傑作として評価されています。
山岸凉子ファンならずとも、一読の価値がある作品です。
まとめ メアリー・ベル事件から学ぶべきこと
メアリー・ベル事件は、単なる猟奇殺人事件ではありません。
児童虐待、貧困、社会の無関心が生み出した悲劇です。
11歳の少女が2人の幼児を殺害したという事実は衝撃的です。
しかしその背景には、想像を絶する虐待と育児放棄がありました。
もし誰かが早い段階でメアリーを救っていたら...
もし母親の虐待に気づいて介入していたら...。
2人の幼い命は失われずに済んだかもしれません。
現在68歳前後になったメアリーは、匿名で静かに暮らしています。
娘と孫に囲まれ、普通の生活を送っているとされています。
彼女が真に更生したのか、それは誰にも分かりません。
しかし少なくとも、罪と向き合い続けていることは確かです。
この事件が私たちに教えてくれる3つのこと
- 児童虐待の早期発見と介入の重要性
- 子どもの犯罪における更生の可能性
- 被害者と加害者、両方の視点を持つことの必要性
簡単な答えのない問題です。
しかし考え続けることが、次の悲劇を防ぐ第一歩となるでしょう。































